50代新人看護師、保育園に行く。で、ときどき落語

日々の雑感、お仕事や落語・・・

留吉さんが亡くなった。。。

 先日、留吉さんがなくなった。昭和4年生まれ、94歳だった。

 それ、誰?。わたしの姉の夫の父だ。1回しか会ったことがない。それも二十数年前だ。ユニークなおじいさんだった。当時すでに、おじいちゃんだった。。。

 わたしとトメさんは、いちおう親族だ。というか、こういうの何と呼べばいいのか、よくわからないが。姉の義父。

 二十数年前、トメさんの誕生祝いだということで、親族で駅近の中華料理屋に集まったことがあった。わたしも何かお誕生日プレゼントを持って行ったような気がする。他に誰がいたのか忘れてしまった。しかし、トメさんの印象だけは強烈にある。

 会食の途中、ふと見ると、主賓のトメさんがいないのである。あれ?・・・。わたしは義兄にたずねた。「さっきから、主賓の姿が見えないですね?」すると、義兄が「食ったから、帰ったんじゃない」とこともなげに言った。

 食ったから帰った・・・???。

 そうなのだ。トメさんは、ウルトラ☆マイペースな人だったのだ。家族もそれを当然と思って、全然、おどろかない。・・・トメさんの誕生祝いで集まったのに。。。

 わたしはその時、こころよいカルチャーショックを受けた。異文化との遭遇。軽い留学体験。みなさんは、自分の常識を揺さぶられる痛快さを味わったことがあるだろうか?。そうなのだ、食ったから帰っていいのだ、自分の誕生会。・・・いや、よくない。

 わたしはこのエピソードが好きなのだ。別に、トメさんは破天荒な生き方、無頼なことをやったという人ではない。佐藤留吉。北海道夕張の炭鉱で働き、閉山後、千葉にやって来た。1女1男をりっぱに育て上げた、釣り好きの老人であった。

 常にマイペース。どこ吹く風、とひょうひょうとしていた。遺影を飾ろうにも、トメさんが正面を向いて映っている写真がない・・・。そういう人なのだ。好きなときに好きな場所へ行ってしまうので、まともに他人に写真を撮ってもらってないのだ。

 たった一度しか会ったことのない、親戚の爺さん。わたしにとってもやっぱり義父になるのか?。遠い義父?。まあいい。死因は・・・、94歳が死因である。当たり前だろう。ちなみにトメさんは、ペースメーカーを入れていた。本人が死んでも、ペースメーカーって動いていたそうだ。そんな話はどうでもいいけど。

 留吉さんのことを書いてみた。

 ご冥福を祈ります。