最近、考える。わたしには、母性があるのだろうか。
もちろん、子どもたちはかわいい♡。これはもう、ホントにそう感じています。よく、世間には「わたし、子どもダメなんだよねー」とか言う人がいるが、それを考えると、わたしの場合は、”子ども好き”とは言えるレベルではあると思う。
(やっぱりね、保育園に務めてて良かった、と思うのは、朝ですよ。朝の出勤時に、子どもたちが、○○しぇんしぇ~、と抱きついてくる、この時間。幸せですよ。)
しかし、一日中、子どもと遊ぶのは、・・・だんだん飽きてくる・・・。
そもそも、わたしには ”母性” がないような気がする。だいたい、保育園は女性ばかりの職場だが、うちの園でただひとりの男性保育士、若鷹先生(仮名)も母性を放出している(念のために書いておくが、彼はイケメンでワイルド系のルックスである)。
若鷹先生も、「もう、○○ちゃん、かわいい~♡!」と1日に何度も、だれかを抱き上げている場面を見かける。わたしは、そんなことはしない。やはり、子ども好きの度合いが全然ちがうのだろうか。
そして、もちろん、女性保育士さんたちの抱っこにはやさしさがあふれている。母性のダダ漏れである。
では、なぜ、わたしには母性が足りないのか。考えてみると、それは、自分も子どもだからではないかと思い当たった。
わたしはすぐに、目の前の子どもと対等の気分になってしまうのだ。さすがに、0歳児をあやしている時は、わたしだって母性が放出されている。しかし、だんだんと、わたしの言うことをきかない、生意気なお年頃に対しては、母性を発揮できない。もちろん、乳幼児に対して怒ったりはしないが、「おまえ、社会に出たら、そんなの通用しないからな(←あたりまえだ)」くらいのことは、3歳児相手につい思ってしまう。
母性というのは、相手と対等である関係には、決して芽生えないものである。。。
常に、相手の保護を第一とする。相手が、どういう結果を出そうが、どこまでも愛し、守る。それが、母性のような気がする。
母性があるから、子どもたちに毎日毎日、おんなじことを言い聞かせ、1年も2年も結果出るまで辛抱強く、おおらかに接することができるのだろう。(以前、保健師の教材のビデオで観たが、出産して母になると『単調な繰り返しの仕事に耐えられるようになるホルモンが出る』のだそうな。まあ、古いビデオだったので、ホントかどうかは別として、母性の本質ではないかとも思う。
そう言えば、若鷹先生も言っていた。「保育って、とんでもなく気の長い仕事ですよね。毎日毎日、おんなじことを言い聞かせて、1年くらいして、やっと子どもがわかってくれる、みたいな」
お友だちをたたいちゃダメだよ。
テーブルには危ないから登りませんよ。
オモチャを黙って取るんじゃなくて、お口で「貸して」って言ってごらん。。。
それが母性。わたしに欠けているものなのだろうか。
まとまらなくなりました。
今日はこのへんで。