なんて、書いてみた。
父は、工場の人だ。昭和30年代前半、高校卒業と同時に東北の田舎から上京した。そして、ゴルフのクラブを作る仕事に就いた。大半の日本人がゴルフというものを知らなかった時代。たまたま声を掛けられて、ゴルフクラブのシャフト(=棒の部分)を作る会社の起ち上げから参加している。工場の責任者として、バブルで倒産するまで勤めている。
その後、父は第2、第3の就職を経て、引退後は妻(=私の母)の介護。昨年秋に妻が他界して、現在はもっぱら、”テレビの番”をしている。(本人談)
最近、父は蓮沼に行きたいと、よく言うようになった。20年以上、通った工場が見たいというのだ。すでに運転免許を返納している父は自分の足では行けない。
それならばと、昨日、蓮沼方面に行く用事があったので、父と2人で行ったみた。
蓮沼とは、房総半島の九十九里側、海水浴で賑う場所である。海のそばの田んぼの中に、父の工場はあった。実家から、車で片道1時間ほど。20年以上通ったのだから、近くに行けば分かるだろうと、本人も私も思ったのだが、なかなか見つからない。そのあたりは、九十九里浜に沿って田んぼが広がるだだっ広いエリアだ。
半分、諦めかける。。。というか、だんだんめんどくさくなる・・・
手がかりは、蓮沼農協が目の前にあったこと。道の駅で人に尋ねて、言われた通りに行ってみると、あった!、農協が。そして、その向かい側にそれらしい工場が。。。
すでに、助手席に父を乗せて、何度もその周辺を行ったり来たりしていたのだが。人の記憶というのは当てにならないものだ。しかし、ついに見つけた。
別の会社の看板が掛かっているが、外観は何も変わっていないようだ。4000坪ほどの敷地に、小さな事務所と2棟の工場。私も写真で見たことがあった。
「涙が出るほど、なつかしいよ」と父。日曜日で工場はひっそりしている。ぐるりと敷地の周りを一周する。
少しずつ、父の中で記憶がつながったらしい。ポロポロと思い出話が始まる。今は閉じてしまった、工場周辺の商店街を通れば、「あ、ここの人も、うちの工場に働きに来てたんだよ」などと話す。帰り道の景色も、すべて懐かしいらしい。
「人生で一番、いろんなことがあった場所だからね」と父。
そうなんだろうな、と思う。
当時、ゴルフなんて遊びがあること自体、ほとんどの日本人は知らなかった。もちろん、国内にゴルフのシャフトを作るメーカーもなければ、製造のノウハウさえも分からなかった。そこに身を投じた父。日本のゴルフの黎明期から、バブル崩壊まで。現在に当てはめるなら、どんな仕事になるのだろうか。。。なんて、考える。
連れて来られてよかった。。。
今日はこのへんで。