50代新人看護師、保育園に行く。で、ときどき落語

日々の雑感、お仕事や落語・・・

”まだら”・・・、なのか???

 最近、実家に戻って父と同居することを真剣に考えている。

 昨日も、実家に泊まった。昼過ぎにガレージに車を入れようとしていると、父が玄関から出て来た。・・・すごいかっこをしている。。。

 紫がかったピンク色の、毛糸のカーディガン。。。亡くなった母が着ていたものだ、それを着て、85歳の父が玄関から出て来た。「よう、いらっしゃい」。いらっしゃい、じゃねえよ。すごく気持ち悪い、何?、その色・・・。ちょっと、心配になる。認知症進んだか・・・?。

 しかし、そうでもないようである。居間で茶を飲みながら、カーディガンについて尋ねると、「これ、あったかいんだよぉ」と笑う父。「肌着や靴下なんかはすぐ処分したんだけど、上着なんかは、なかなか捨てられないなぁ。思い出しちゃってなぁ」とのこと。別に着るものに無頓着になったわけでもないらしい。母が逝って5ヶ月、何か母への愛着もあってのことなのだと思う。

 とは言え、釘は刺しといた方がいい。私が「その色、近所の人が見たら、びっくりしちゃうよ」と言うと、父も「ああ、そうか、とうとうおかしくなったかと思われちゃうな。そうか、そうか」とひとりで大笑いしている。

 

 ちょっと、まだらなところが出て来たかな、とも思う。

 その日は、夕方、親戚の陽子おばさんが、母の仏壇にお焼香に来てくれた。父のいとこにあたる女性で、とある大病院の看護師長をしていたひとだ。母も生前、持病での入院の際など、お世話になっている。

 実は2ヶ月前、父とふたりで話した時、この陽子おばさんのことを、父はすっかり忘れてしまって思い出せないと、私に話していた。その時は、私も内心、驚いた。父と陽子おばさんは、いとこ同士で子ども時代はよく遊んでいた間柄だ。しかし、父は陽子おばさんのことも、母が生前、入院でお世話になったことも、そして、母の入院そのものも、全部、思い出せないと漏らしていた。。。

 しかし、その日は、来てくれた陽子おばさんと父、昔話に花が咲いていた。

 何事もなく、楽しそうに、陽子おばさんは帰っていった。父も昔話ができて、よかったと満足げである。

 ひとの記憶とか、認知って、不思議なもんだな、と思う。

 今日はこのへんで。