「真実はいつも1つ!」
と、これは、名探偵コナン君だ。もちろん、コナン君、ここでは “事実” という意味で使っている。
『ミステリというなかれ』では、「事実は1つだけど、真実は人の数だけある」みたいに言ってるそうです。なるほど、そうだと思います。
で。
昨日、映画『福田村事件』を観てきた。
わたしは、こんな事件があったことを知らなかった。関東大震災の時の朝鮮人虐殺に絡んだ事件。香川県から来た薬行商の一行を、千葉県の福田村(今の野田市)の自警団が、朝鮮人と思い込んで、15名中の9名を殺害したというのだ。
悲惨極まる事件だ。その史実に、脚色して映画化している。作り手にとっての “真実“ が、とてもわかりやすく伝えられている作品だと感じた。
今年は、関東大震災からちょうど100年の節目。
震災の混乱の中、デマ情報によって、虐殺された朝鮮人、社会主義者の邦人などは6千人にも及ぶのだという。福田村事件も含めて、風化させてはならない歴史的事実だ。
わたしが映画を観て感じたのは、国境は高くなければ、お互いの国民を不幸にするのではないか?ということだ。
映画の中でクローズアップされた「侵略」「植民地支配」などは、第2次大戦後の世界では、もちろん許されていない。しかし、現在の日本は、少子化対策とかの理由で、「移民受け入れ」にアクセルを踏もうとしているようだ。すでに、ヨーロッパは、移民受け入れのひずみに耐えかねているというのに・・・。
安い労働者、移民や実習生をどんどん国内に入れて、日本人の低所得者層とさらなる低賃金競争をさせようというのだろう。おそろしい話だ。
文化の多様化とか、そんなお題目で、外国人をドンドン住まわせたら、お互いの国民にとって、不幸にしかならないのではないか。
必ず、邦人と移民の間に、ゆがんだ反目や差別が生まれる。
だから、お互いの国を尊重し合い、国境は高く保持したままで、交流を深めればいいのではないか?。
そんなことを感じました。
今日はこのへんで。