昨日はお盆最終日。8月15日。送り火をたいて、ご先祖様があの世にお帰りになるのを見送る日。
保育園は基本、お盆休みはない。しかし、さすがに預けられる子どもは少ない。お盆の期間中は平和である。まったりしている。。。
で、うちに来てくれた曹洞宗のお坊さんのお話を書いておく。
母の新盆だったので、盆提灯やら、祭壇に果物、お菓子、御膳なんかを飾っていたのだが、法要のあと、お坊さんが話してくれた。
お宅の祭壇には、ひとつ足りないものがあります。
お盆の起源。。。
昔、釈迦の10大弟子のひとりでもある目連さん。この人は、神通力第一と称された方である。ここで言う神通力っていろんな世界が見渡せることだそうな。
で、目連が、自分の亡き母は、今、どうしておられるかと各世界を見てみた。
ここで言う世界って、仏教での死後の世界、「六道」ってやつで、 地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の世界です。その当時、だれかが出家すれば、一族も皆、良いところに行けると考えられていて、目連も、亡き母は当然、天上界にいるもんだと思っていた。
けれど、母がいたのは、餓鬼道。。。これ、一番下なんだって!
どうして? どゆこと?
お釈迦様に尋ねると、こんな感じ。彼女はわが子を愛したが、自分の子ども以外には、冷たく、施しもしなかった、その報いだよぉん。。。
釈迦に教えられ、目連さんは、周囲の人々に精一杯のごちそうを振る舞った。そうして、母も無事、天上界に昇ることができた。
とさ。
これが、お盆の起源にもつながっているらしい。。。
だからね。お盆の祭壇には、自分の近しいひとへ豪華なご馳走をお供えするのはもちろんけっこう。でも、それプラスね、
今や無縁となられた、つまり供養をしてくれる人もいなくなった、寂しい死者のためにも、お供物を捧げるのが正しいんだって。そのひとたちは餓鬼道にいるから。
ちなみに、メニューは、3つ。白飯と、水と、米を研いで野菜を刻んだもの(←餓鬼道にいると水も飲めないんだって。飲もうとすると蒸発しちゃうんだって。このメニューも何とかって名称があるみたいだけど忘れた)。これをね、祭壇の上じゃなくて、床に置く。なぜかと言うと、餓鬼道にいる死者たちは痩せ衰えて、祭壇を登る力もないから。。。
そして、お盆の期間が終わったら、その3つは鳥やら獣やら虫やらに施してあげなさい、と。
以上、無縁の方へのプラスアルファのお供えのお話でした。
・・・なんか、いい話を聴いたと思い、ここに書きました。
子どももなく、最初っから無縁仏になるわたしである。これから、お盆にはこの話を思い出そう。
今日はこのへんで。