50代新人看護師、保育園に行く。で、ときどき落語

日々の雑感、お仕事や落語・・・

権助魚。。。やっちゃった・・・

 先週末の落語会。

 私は初めてのネタに挑戦した。『権助魚』ごんすけざかな。

 落語の登場人物は、八っつぁんに熊さん、横丁のご隠居、与太郎・・・などが定番だが、舞台が商家、お店となると、飯炊きの権助なる人物が出て来る。

 私の考えでは、町内の与太郎さんに匹敵するような存在だと思っている。もちろん、商家に与太郎さんが雇ってもらえるはずがない。だいたい与太郎さんはブラブラ遊んでいるからこそ、与太郎さんなのだ。

 そこで、登場する権助さん。いわゆる ”道化” 、馬鹿にされ軽んじられながら、面白おかしく騒動を起こし、時に周囲の賢い人たちを風刺する、そんな役回りだ。

 で、この権助の設定は、田舎から出て来て、飯炊きとして働いている、というものだ。その言葉遣いは、とにかく、なまっている。振る舞いも、住み込みの使用人ながら、店の主人にもズケズケと物を言う。だが、いかにも田舎もんという感じで、毒が薄まってしまう。『権助は、田舎もんだからしかたない』と周囲が勝手に思ってしまう。そこら中を裸足で歩き、服装は野暮で小汚く、いっこうに都会暮らしに染まる気配がない。

 では、権助はどこ出身なのかというと、それはハッキリしない。権助のしゃべる方言は ”てきとー” なのだ。なんとなく、関東周辺の、いかにも田舎の人がしゃべりそうな方言をねつ造して、話かがしゃべるのだ。あくまで、架空の方言である。

 これは、東京落語に限らず、上方でも同じだ。桂枝雀さんの『夏の医者』とか、いかにも、西日本のどこかの田舎の人といった感じだが、実際にそんなしゃべり方をする地方はどこにもない。みょうちきりんな言葉遣いである。

 と言うのは、やっぱり、権助とか、田吾作(たごさく。上方落語に、権助は出て来ない)は何県の出身とか、特定できない方がいいのだろう。お客さんのだれかに差し障りがあってもいけない。純度100%の ”田舎もん” を表現した存在なのだ。

 きっと、吉原の花魁が、独特の廓言葉をしゃべるのと同じかもしれない。あれは、その遊女がどこの出身か分からぬように、日本のどこにもない言葉でしゃべることによって、非日常へ、夢の世界へと、客を誘うのだ。

 (あ、このあいだ、『大吉原展』観てきました。よかったです!。えらいぞ!、芸大!)

 そう。だから、権助さんも、演者である噺家によって、面白おかしく、てきとーな方言でしゃべるのだ。

 

 私も権助のてきとー方言をしゃべるのが楽しい。・・・で、やっちゃった、というのは、人物が入れ替わっても、主人のセリフまで、なまってしまったのだ!!!。

 ・・・話の途中で、今、誰がしゃべってるのか、よく分からなくなってしまった。

 やはり、稽古不足を幕は待たない、とはよく言ったもんです。

 そして、やっぱり、てきとーであっても、方言というのは力強いものなのです。

 反省しつつ、今日はこのへんで。