50代新人看護師、保育園に行く。で、ときどき落語

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「神去(かむさり)なあなあ日常」 ~読書感想文~

  読みました!。三浦しをん著「神去(かむさり)なあなあ日常」。面白かった!。

主人公・平野勇気18歳。横浜の都会っ子が、高校卒業と同時に、三重県の神去村の林業の現場に見習いとして放り込まれた。そこは、林業が中心の過疎の村、ほんとのほんとに田舎。勇気と山の仕事仲間たちが繰り広げる、1年間の出来事を、主人公の目線で綴っている。文庫本のカバーには「林業エンタテイメント小説の傑作」と書いてある。

 

 でね、読み出したら、もう、とにかく神去村に行きたくなった!。

これはもう、ある種、ファンタジーだよ。みなさんも、気に入ったファンタジー小説に出会うと、自分もこの世界に暮らしたいなー、って思うでしょ?。私もまさにそれです。

 林業で成り立つ山村ってそのくらい、“異界”なの。魔法の国に迷い込んだ主人公、あるいは、嵐で乗っていた客船が難破して絶海の孤島に流れ着いた主人公、なんて物語とおんなじくらい。地続きで、電車とバスでたどり着けるけど、でも隔絶された世界。

 小説の冒頭で、村に着いた主人公は、いきなり仕事の先輩・ヨキに、携帯のバッテリーを抜いて捨てられてしまう(!)。元の世界と交信するすべを封じられてしまう。作者もここは別世界なんだ、って強調してる。

 そこの住民たちは、独自の揺らぎない価値観を持って暮らしている。神去村の住民は、神去山の神を敬い、祀り、何世紀にもわたって、人が踏み込むことを許さぬ広大な神域を守り続けている。外の世界に憧れることも、比較することもなく、泰然と日々を過ごす人々の日常。

 「なあなあ」っていうのは、ここの方言で、のんびりとか、てきとーとか、まあまあとかって意味らしい。物事を受け容れる態度のことなのかな、って思う。

 この村では、当たり前に神隠しも起こる。長老のお告げを聞いて、みんなでみそぎをして山に入る。すると、消えた子が見つかる。よかった、よかったとみんなで山を下りる。誰も科学的な説明なんか求めない。

 村人の山への信仰は、物語の大きな柱だ。主人公も山の神に気に入られたらしく、生きるか死ぬかの祭りの最中、ついに神の姿を目撃する・・・。

 もちろん、小説はとってもリアルです。三浦しをんさんって初めて読んだけど、綿密な取材をして書く人なんだそうです。へー、林業の現場ってこうなんだー、というフムフムの楽しみもたくさん詰まってます。日本の自然は、どこかの大陸の手つかずの大自然と違って、すべて人間が営々と手を掛け、共存してきた自然である。里山はもちろん、神域とされる山の頂上であっても、人間が大切に手を掛けてきたんだ。読んでいると、ほんとに林業の現場には様々な知恵が受け継がれてるんだなぁ、って思いました。

 でも、しかし。

 現代の日本では、林業絶滅危惧種の斜陽産業。それが、なぜ、この神去村ではしっかり持ちこたえているのか?。その答えは、住民の持つ神去山への信仰である。村人はみんな、直接、林業に携わる人もそうでない人も、山の神を畏れ、敬い、その神域を守ることに力を惜しまない。そういう人々の心情こそが、林業を産業として持続可能なものしている。それを、作者は取材を通して見つけたんじゃないだろうかと思う。

 私も神去村に行ってみたい、暮らしてみたい。でも、神去村は現実には存在しない。

 この小説のテーマって、たぶん、自然と人間とか、あるいは日本人の精神性のルーツ、みたいなところまで深掘りできるんだろうけど。だからといって、作者も、今さらそこに立ち返れ、みたいなことは言う気はないんだ。あくまで、ポップなエンタテイメント。

 主人公が、村の年上美人に一目惚れする、恋の行方もストーリーの大きな柱。でも、その恋も、ゆっくりゆっくり、村の大人たちに見守られながら、もどかしくもどかしく、この村でしか成立しないような恋の形が進展していく。

 読み終わって、暖かいため息が漏れる。・・・私たちは、もう、行けないんだよ、神去村には。でもね、この本読んで、この村に憧れない人がいたら、その人とは何を話してもわからえないなー、って思う私でした。